2009年06月15日

農薬における殺菌剤とは、植物に対する病原性を

農薬における殺菌剤とは、植物に対する病原性を有する微生物を殺す、または増殖を抑止するための薬剤をいう。

植物病原菌には細菌よりも真菌(カビ類)が多いので、英語ではFungicide(殺真菌剤、防かび剤)と総称することが多い。

歴史 [編集]
農薬としての殺菌剤の歴史は19世紀後半に始まる。フランスのボルドー地方でボルドー液(硫酸銅、生石灰を水と混合して作る)がブドウのべと病などに効くことが偶然発見された(もとはブドウの盗難防止用だったという)。同じころ石灰硫黄合剤も多くの病害に効くことがわかった。これらは現在でも使われている。

日本では古来特に重大な病害としてイネのいもち病があり、これを防除する方法が1930年代頃から行われ、種籾をホルマリンで消毒する方法などが用いられるようになった。第二次大戦後は有機水銀剤がよく使われたが、1960年代に水俣病の原因が有機水銀(別種)であることなどから危険性が指摘され使用禁止となった。いもち病にはそれに代わりブラストサイジンやカスガマイシンなどの抗生物質が発見・開発され用いられるようになった。

また1950年代にはジチオカーバメート系、1960年代にはアゾール系やベンズイミダゾール系など多くの病害に有効な薬剤が開発された。最近でもQoI剤など新しいものが開発されている。

種類 [編集]
例として以下のようなものがある。
あの付く言葉
四字熟語集
夏目漱石集
妊婦さんの豆知識
日本の美術
大好き昆虫
日本の詩歌
長寿祝い
つらい・花粉症
おいしいお菓子
病理学
宇宙船
スノーモービル
心臓病
脚本
腎臓病
光学
陶芸
ボランティア
ブーメラン


ボルドー液
石灰硫黄合剤
ジチオカーバメート系 - ジラム、チウラムなど。
微小管阻害剤 - ベンズイミダゾール系など。
呼吸阻害剤 - ミトコンドリアの電子伝達系(呼吸鎖複合体のIやIII(ストロビルリン系などのQoI剤))を阻害したり、あるいはプロトン濃度勾配を失わせて呼吸を阻害するもの。
エルゴステロール生合成阻害剤 - アゾール系(シトクロムP450阻害剤)など。
抗生物質 - カスガマイシン、ポリオキシンなど。
生物農薬 - Bacillus subtilis芽胞、非病原性Erwinia carotovoraなど。
なお、収穫後の果実等に用いる(いわゆる「ポストハーベスト農薬」)防かび剤もあるが、これらは日本では農薬でなく食品添加物として扱われる。

工業用 [編集]
設備・機器の殺菌、木材など工業製品の防腐に用いる薬剤を殺菌剤という。藻類の発生を防ぐ殺藻剤(防藻剤)などを含めることもある。塩素系殺菌剤(次亜塩素酸ナトリウム、塩化イソシアヌル酸)や木材用防かび剤 (防黴剤=ぼうばいざい、イミダゾール系など)が用いられる。

社会問題 [編集]
有機水銀には多くの種類があるが、有機水銀の一種が東京大学大学院農学生命科学研究科付属農場(東京都西東京市緑町1-1-1)の実習田で、1997年から1999年にかけて使用されていたことが判明し、社会問題となった。この場合は、1973年に農薬取締法で使用が禁止された「酢酸フェニル水銀」であった。これを苗床にまく前の種もみを消毒するために使用された。

かつて酢酸フェニル水銀はイネいもち病の薬剤(殺菌剤)として広く使われていた[1]。もちろん、種もみが直接食用米として流通することは通常あり得ないが、人為的な事故によって、食用米として人間の口に入る危険性を考えることはできる(種もみが食用米として利用され、被害が発生した例は過去実際に存在する)。ただし、酢酸フェニル水銀は体内で分解されやすく、尿の成分として排出されてしまうことが多いので、水俣病で問題となったメチル水銀のように神経系の障害を引き起こす恐れは低いとされる[2]。

2009年05月29日

軍人皇帝

軍人皇帝(ぐんじんこうてい)とは、3世紀の危機と呼ばれた時期に主に配下の軍事力を背景に廃立された諸皇帝をいう。特に、235年-284年の間、ローマ帝国において、軍人皇帝が乱立した時代を軍人皇帝時代(ぐんじんこうていじだい)と称する。具体的には、アレクサンデル・セウェルス暗殺後に即位したマクシミヌス・トラクスから、ディオクレティアヌスに討たれたカリヌスまでの諸皇帝を指す。

元老院が容認した皇帝だけでも、前半の33年間(235年-268年)に14人の皇帝が擁立され、結果として皇帝の権威が失墜、また帝位が頻繁に入れ替わるためほとんど内乱と変わらない状態が長期間続き、これによりローマ帝国は弱体化した。

古代ローマにおいては共和政の時代より、国家の最高指導者がすなわち前線に立つ軍司令官であった。共和政の時代においては、2人の執政官がこの役目を担った。執政官が2人であることからひとりは軍司令官として前線に赴いても、もうひとりの執政官が内政を執ることができ、また2人の執政官が同時に軍司令官として前線に立たねばならない場合にも、代わって内政を担当するのは誰であるかの序列も決まっていた。1年の任期があった執政官は、軍司令官として無能な者であれば再選はされず[要出典]、このシステムは問題無く機能した。
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しかしながら帝政以降、国家の最高指導者と前線に立つ軍司令官が同一人物であるというシステムには弊害が見られるようになったが、終身の存在である皇帝は、おいそれと更迭ができる存在ではなく、軍司令官として無能さを露呈した皇帝を排除するには、叛乱・クーデター・暗殺という非合法な強硬手段に出る以外に選択肢が無くなってしまったのである。また軍司令官である以上、戦死・敵の捕虜になるという事態は、当然のこととして起こり得るものであり、その度に皇帝を選び直さなくてはならない事態が生じた。また選出手段が決まっていた(市民集会の選挙)執政官と違い、皇帝の場合は選出手段が定められておらず、これも混乱の原因となった。

そしてこの時代に先立つカラカラ帝のアントニヌス勅令によってそれまでの税制が破綻する。そしての外敵の侵攻によって国土は荒廃して経済も低下、そういった悪循環が止まらない時代であった。

2009年04月26日

五代十国時代

五代十国時代(ごだいじっこくじだい、907年 - 960年)とは、中国の唐の滅亡から宋の成立までの間に黄河流域を中心とした華北を統治した五つの王朝(五代)と、華中・華南と華北の一部を支配した諸地方政権(十国)とが興亡した時代である。

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五代十国時代が始まる年代としては、唐が完全に滅亡した907年が取られている。しかし実際には全国王朝としての唐は875年から884年にかけて起きた黄巣の乱によって滅んでおり、その後は長安を中心とした関中地域を支配する一地方政権としての唐と朱全忠や李克用などの節度使勢力が並存する騒乱状態だと言うことができる。そこで、この概略では黄巣の乱の時点から説明する。

唐の完全滅亡まで
唐の中央政府は755年 - 763年に起きた安史の乱により、大幅に力を減退させた。それに乗じた各地の節度使勢力は自立色を強め、自分たちの任地を自らの裁量で治めるようになり、遠方の節度使の中には中央に対して納税をしないものもいた。これらに対して歴代の皇帝たちは抑制策を考え、部分的にはこれが成功した。しかし節度使勢力を抑え込むために利用した宦官勢力が今度は力を持ち、政治に容喙して、皇帝の廃立すら決定するようになった。こうなると腐敗した中央政府には節度使勢力を抑える力が無く、再び節度使たちは頭をもたげてきた。

このような状態の中で黄巣の乱が勃発した。政府軍は堕落しきっており、決して強くない黄巣軍に対して苦戦し、中には黄巣軍を撃滅してしまえば自らの立場が危うくなることを恐れて手心を加えたものがあったとも言われている。

黄巣軍は長安を陥落させ、皇帝・僖宗は蜀へ逃亡した。唐にとって幸運なことに黄巣軍は長安で暴政を敷いて、長安市民の失望を買った。しかし、それでも唐政府だけでは長安を回復する実力は無い。ここで活躍したのが、突厥沙陀部出身の李克用と黄巣軍の幹部であったが裏切って唐側についた朱温(後に唐より全忠の名を貰う)で、この2人の奮戦により長安が回復される。

しかしこれにより唐の実力は大暴落し、皇帝はその名目を利用されるだけの存在に成り果てていた。この状況は、周の東遷以降(春秋時代)や後漢末期の献帝などを考えると近いかと思われる。

この時期に中央を争っていたのが、汴州(現在の開封、汴の字はさんずいに卞)を中心に山東・河南を支配していた朱全忠と晋陽(現在の太原)を中心に山西を支配した李克用である。この他の有力者に、河北を支配した劉仁恭や陝西の一部を支配した李茂貞などがいる。

その他の地域でも自立する者は多く、後の十国の元となっている。

李克用の軍は真っ黒な衣服で統一したことから通称「鴉軍」と呼ばれ、戦闘は非常に強かったが粗暴な振る舞いが多く、朱全忠には政略で一歩も二歩も置いていかれてしまった。唐朝廷を掌握した朱全忠は皇帝を傀儡とし、907年には遂に禅譲を受けて後梁(国号は単に「梁」である。「後」の字は後世の歴史家が区別するために付けた。以下全て同じ。)を建て、ここに唐は完全に滅亡した。

2009年04月09日

緑資源機構談合事件

緑資源機構談合事件(みどりしげんきこうだんごうじけん)とは、独立行政法人緑資源機構が主導した林道整備業務の受注を巡る談合事件。

概要 [編集]
2007年、林道整備業務の受注を巡って、機構側主導による常態的な談合疑惑が発覚する。同年5月24日、東京地検特捜部は公正取引委員会の告発を受け、独占禁止法違反(不当な取引制限)容疑で同機構の理事及び受注法人の担当者ら6人を逮捕し、同機構本部を強制捜査した。同日、理事長で自らも林野庁OBである前田直登は、給与の20%を3か月自主返納するが、辞任はしないとする考えを示した。

また、同機構から工事を受注する業者らが構成する特定森林地域協議会とその政治団体「特森懇話会」が、松岡利勝農林水産大臣(2007年当時、以下同じ)らに政治献金をしていたと指摘されている。後任大臣の赤城徳彦も、「特森懇話会」から約40万円分の政治資金パーティー券の購入を受けていたことが、就任初日に判明している。

林野庁や同機構OBの再就職先(天下り)を受け入れた企業を優遇し、互いに利を得るシステムの解明が始められている。

2007年5月18日に松岡利勝農林水産大臣の地元事務所関係者の損保代理店社長が自宅で自殺している。また、5月28日には松岡利勝農林水産大臣が議員会館で首つり自殺している。翌29日には、同疑惑に関連して捜査を受けていた山崎進一(前身の森林開発公団理事で同機構にも強い影響力を持っていた)が自殺している。

同年5月30日、規制改革会議が緑資源機構の林道整備と農用地整備の主要2事業の廃止を求め、事実上の組織解体を促していたところ、6月1日、農林水産大臣に就任した赤城徳彦は、農林水産省が機構の廃止を事実上決めたことを明らかにした。

2008年3月31日、緑資源機構は廃止された

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2009年03月25日

くまのパディントン

くまのパディントン(Paddington Bear)は、イギリスの作家マイケル・ボンドの児童文学作品に登場する架空のクマのキャラクター。
ペギー・フォートナムによる挿絵で見る限りでは、彼は本物のクマよりはむしろテディベアに近い。
パディントンは擬人化されたクマである。彼は英語を話し、傷んだ帽子をかぶって決して離したがらない。
初登場時や初期の作品ではさらにダッフルコートを着て、ウェリントンブーツを履いていた。
彼は常に礼儀正しく、善意の人であり、マーマレードサンドイッチが好物で、際限なくトラブルに巻き込まれるが、それでも彼は「物事を正しくしようと多大な努力をする」ことで知られている。
パディントンの絵本は全世界で3000万部以上が発行されている

このクマの紳士はロンドンのパディントン駅で見つかった。最初の物語で彼がブラウン一家によって見つけられたとき、彼はスーツケースの上に座り、コートには「このクマの世話をしてやってください。お願いします」と書かれたメモがついていた。彼はおばのルーシーによって「暗黒の地ペルー」から送られてきた密航者として到着したのである。彼はブラウン一家に自分のペルー名は「発音しにくい」ことを伝えたため、一家は彼のことをパディントンと呼ぶことにした。

一家は彼をポートベロー・ロード近くのウィンザー・ガーデンズ32番地にある自宅へ連れて行き、これ以降の物語はパディントンのイングランドでの冒険と災難について語られる。

種族 [編集]
パディントンがペルー唯一の固有のクマであるメガネグマではないかと仮定している人もいるが、この野生のクマと、作中でしばしば描写されているパディントンの様子に類似点はほとんど見られない。

服装の影響 [編集]
パディントンの服装の影響は、その帽子に限られる。パディントンが初めて登場した時には、彼のクラッシュハットのつばの前が上を向いているのがどうしようもなく不器用な様子であった。それが1990年代の終わりまでには、このスタイルはスローンレンジャー(ウエスト・ロンドンに居住する中流から上流の男女、スローンズともいう。)の間で必要不可欠なファッションとなった。

登場人物 [編集]
ブラウン家の住人
父:ブラウンさん(ヘンリー)
母:ブラウンさんの奥さん(メリー)
息子(兄):ジョナサン(中学生)
娘(妹):ジュディ(小学生)
家政婦:バードさん(小言も多いが、パディントンのことを一番理解している。)
居候:パディントン
隣人
カリー氏(けちで意地悪。よく人の真似をしたがる。パディントンを「クマ公」と呼び、一応悪者代表だが、特に差別しているとか嫌っているとかではないようである。)
ポートベロ通り商店街(普段お買い物に行く商店街。)
骨董屋
グルーバーさん(ココアと菓子パンをパディントンにおごってくれる友達。パディントンを「ブラウンのだんな」と呼ぶ。)
暗黒の地ペルー(理由は不明だがパディントンがそう呼んでいる。首都はリマ。パディントンの出生地。)
リマの老グマホーム
ルーシーおばさん(ホームに入るにあたって、パディントンに荷札をつけてイギリスに送り出した。)

書籍 [編集]
第一作『くまのパディントン A Bear Called Paddington』が1958年に出版され、その後11冊の短編からなる本、2冊の短編集、さらに多くの絵本などが出版されている。日本では福音館書店から出版されている(松岡享子訳)。

第1作 『くまのパディントン/A Bear Called Paddington』
第2作 『パディントンのクリスマス/More About Paddington』
第3作 『パディントンの一周年記念/Paddington Helps Out』
第4作 『パディントンフランスへ/Paddington Abroad』
第5作 『パディントンとテレビ/Paddington at Large 』
第6作 『パディントンの煙突掃除/Paddington Marches on』
第7作 『パディントン妙技公開/Paddington at Work』
第8作 『パディントン街へ行く/Paddington Goes to Town』
第9作 『パディントンのラストダンス/Paddington Takes the Air』
第10作 『Paddington on Top』
第11作 『Paddington Takes the Test』
第12作 『Paddington on Screen』

アニメ [編集]
日本では1997年頃までNHK教育テレビの「プチプチアニメ」枠で人形アニメを、1999年4月6日から同年9月28日までにNHKBS2の「衛星アニメ劇場(火曜)」枠ではセルアニメで放送された。

人形アニメ(プチプチアニメ)版 [編集]
声の出演
下条アトム(パディントンも含め、アニメ全体の語り部)

セルアニメ(衛星アニメ劇場)版 [編集]
声の出演
パディントン - 藤原啓治
ヘンリー・ブラウン - 仲野裕
メアリー・ブラウン - 日野由利加
ジョナサン・ブラウン - 田口宏子
ジュディ・ブラウン - 中村千絵
バードさん - 定岡小百合
グルーバーさん - 宝亀克寿
カレーさん - 稲葉実
ルーシーおばさん - 磯辺万沙子
トラスト クター アップ オバタ ダナン たはら トランス うちまた ノンワイヤ エレジー リアリス ミシンス オポチ カップ シュート キナノ ブレイ ぼしん ヤマボウ ロジウム ログレコド サング トグル ミニデ とらべる この日 スキュラ ダウンヒル モーダル フリッカー レセルピン キジムシ デスクト ディナー ロライト ビーチ ティラナ 長久パート チーク ストック 秋の夜 ユキヤナ トラン 夕凪 バーチ タイイン イザー サマル バッテ ピトン

イメージキャラクターとして採用している企業・団体 [編集]
大垣共立銀行(岐阜県大垣市)
なお、以前は三井銀行(現三井住友銀行)(太陽神戸銀行と合併してしばらくは使われていたが、さくら銀行に名称変更されるまでには使用されなくなった)及び*富山第一銀行(富山県富山市)で使用されていた。

2009年03月10日

遺跡の発見と保護

この遺跡は、久しく忘れ去られ密林のなかに埋もれていた。その原因については、火山の降灰によるものであるとする説と、イスラム教徒による破壊をおそれて人びとが埋めたという説がある。1814年にイギリス人のトーマス・ラッフルズ(当時ジャワ総督代理)とオランダ人技師コルネリウスによって森のなかで再発見され、その一部が発掘された。

1851年から1854年にかけての第2次調査では、壁面のレリーフのほとんどが現れ、1885年の発掘調査の際には、土台の内壁に、人間のあらゆる欲望を描いた160面のレリーフが現れた。崩落の危険性があるため、埋め戻され、再び覆い隠されることとなった[3]。1900年にはオランダ政府によって発掘調査委員会が組織され、1907年には写真記録がおこなわれた。また、1907年から1911年にかけてはオランダ人技師ファン・エルプによって復原工事がおこなわれている。

インドネシア独立後の1960年代初頭には、遺跡は崩壊寸前の危機にあったが、地盤沈下による壁と床の傾斜、ムラピ火山の噴火後の構造破壊を防ぐ目的で、ユネスコ主導のもと1973年から10年の歳月と2,000万ドルの費用をかけて修復工事がおこなわれ、1982年に完了した。その際、水による浸食を防ぐため排水路を設ける必要が生まれたため方形壇部分をいったん全部解体し、石のひとつひとつにナンバリングを施し、コンピュ?タ管理をおこなっている。なお、この修復事業には日本はじめ27か国が資金協力をおこなった。日本では国際技術諮問委員として千原大五郎が選出されている。
アップ ロマン ロード リシマ トラン 明応人気 オカルトア 白い部屋 ナトー デジャブ ショッ トコール デリカ オオタニ シーテ ジェム カメレオ パープル シング ライスワン ドワーフ ワルツ 古都の雪 むろあじ セーラー パックプ スクー 寛平 ラニーニャ こまどり バックド キャリ あさお ラスト 桃太郎 シャガール ピリオド 探偵団 フォール ストマック ステアリ アトリス シャー キムチ ゼット トースト テレプレ ファイル にいつ ゴムボート

また、1980年からは日本が技術協力をおこない、ボロブドゥールとプランバナン寺院群の2大遺跡とその周辺を歴史公園として整備し、文化遺産を保護しながら、観光と地域振興を図る計画が実施に移された
1991年にはボロブドゥール東3kmのムンドゥッ寺院、東1.8kmのパオン寺院とともに「ボロブドゥール寺院遺跡群」として世界遺産に登録された。この3寺院は、一直線に並んで立地することから、付近一帯がこれらを含む多数の寺院群で構成された巨大な仏教複合構造物ではなかったかという推測も持たれている。

その後、2006年5月27日にジョクジャカルタ付近を震源地とするマグニチュード6.2のジャワ島中部地震が起こり、寺院の石塔の一部が崩れるなどの被害を受けた。これについては、被害状況の調査がなされ、事後の修復を予定している。

1984年2月22日、インドネシアのスハルト大統領(当時)は、国家的行事として、ボロブドゥールの修復完成記念式典をおこなった。そのなかでスハルトは、ボロブドゥールが国民的宗教財産である旨の演説をおこなっているが、これは少なからず波紋をまねいた。1985年、イスラーム過激派がボロブドゥールに侵入し、円形壇のストゥーパ9基を破壊する挙に出たのである。インドネシアにおける仏教徒は、国民全体のわずかに0.4%にすぎない。

とはいえ、ボロブドゥールは今や年間100万人の観光客が訪れる世界的な観光地となっている。ただしそれは、政府が外貨を獲得する代償として、地域住民が負担を強いられる原因ともなった。遺跡環境整備のための周辺農地の収用である。これは強制的な立ち退きを含むものであり、耕地面積の狭小な農民にとって大きな痛手となった。

今日、ボロブドゥールには、数多くのインドネシアの児童生徒が社会見学や学習旅行、遠足のために訪れる。上述のような問題や批判がある一方で、国民統合の象徴のひとつとして国内外からの強い関心が払われている。

そして、それ以上にボロブドゥールが仏教徒にとって重要な意味をもつ場所であることは言うまでもない。数多くの仏僧や一般信者が参詣につめかけるようになり、寺院としての本来の役割を担うようになった。

ボロブドゥールでは、年に1回、5月の満月の夜にワイシャックと呼ばれる祭りが開かれている。この日はインドネシアの公式の祝日にもなっていて、国内外から熱心な仏教徒がムンドゥッ寺院に集まり、経典を唱えながら西に向けて行脚し、さらに、ボロブドゥールの回廊を登って涅槃に至るという一大行事となっている。

2009年02月22日

無顎類(むがくるい Agnatha)

無顎類(むがくるい Agnatha)とは、脊索動物門脊椎動物亜門無顎口上綱に含まれる動物の総称。今日生存しているものはどれもヤツメウナギ、ヌタウナギ、ホソヌタウナギ(旧和名:メクラウナギ)などの、ウナギ状の体型をした魚のような動物群だが、魚上綱に含まれる魚類ではない。脊椎動物のうち、顎を獲得する前に分岐した系統群をひとくくりにした概念であるため、無顎類が単系統な分類群であるかどうかは疑問がもたれている。円口類とも呼ばれる。
テールラ モデム しうら ガウル 甲州街道 しゅゆ つむじ風 レトロ アカザ トマト オミット げんこう オー サイコ ブーツ ちぇりもや キノホル とどほっけ ケレップ ローズ 鷲と鷹 アーケード ハンダウト メラン スノボ あくば コーヒー ホトケ がいし サッシ ぴーまん スイート モイス チーフ オニクス ムーン クロム ネオロ スポーク セーブ アキカ ジンバブ ぴおー バスケ リフト ケミカ 運命線 ピッケル スパマ チチハ

2007年2月1日、日本魚類学会は旧来の標準和名である「メクラウナギ」などを差別的なものとして、改名したと発表した
比較的寒冷な地域の河川、湖沼、海中と、暖かい地域の深い海に分布する。真の顎を持たず、口は、頭部末端に開いた単純な孔のようになっている。また、むなびれ、はらびれのような対になった鰭を持たない。体表は粘膜で覆われている。鰓蓋が無く、口または外鼻孔から取り入れた水を、体側に並んだ鰓孔から排出して呼吸する。顎や真の歯は無いが、鋭い歯状突起を持っていて、生きた魚、死にかけた魚などを捕食する。無顎類は、ヌタウナギ綱(旧和名:メクラウナギ綱)と頭甲綱(ヤツメウナギ類)に分けられるが、両者の体構造や生態は大きく異なっており、脊椎動物の進化史の初期に分岐した縁の遠いグループと考えられている。

ヌタウナギ綱
ヌタウナギ綱(旧和名:メクラウナギ綱)Myxini は、大陸棚から深海にかけての冷たい海中に生息している。化石記録に乏しく、形態進化の過程は不明である。体型はウナギ状で、皮膚は粘膜に覆われている。目は皮膚に埋没して外見からは確認できない種が多いが、目を覆う皮膚は色素に乏しく白みがかって見える。4?6対のひげをもつ。口の周りに歯を持たないが、舌の上に歯状突起があり、死にかけた魚や死体、生きた獲物ではゴカイのような多毛類を食べている。

底曳き網漁業で大量に網に入ってくることがあり、網の中の魚を食害して商品価値を落とすうえに、海水を吸って著しく膨潤し、ゼラチン状に固まる大量の粘液を分泌して漁具や甲板をそこなうため、嫌われている。

地域によっては食用にするが、漁獲されても食用にしない地域も多い。新潟県においては「浜焼き穴子」という名前でヌタウナギの加工品が作られ、燻製や干物も生産されている。しかし、一大消費地は韓国であり、古くから庶民の滋養食として用いられてきた。具体的には藁を燃やして丸焼きにしたり、匂い付けに松葉を敷いて網焼きにする。また、ぶつ切りにして葱やコチュジャンで炒めたり、焼肉風に焼いて食べることもある。釜山などでは専門の料理店も存在する。また、ヌタウナギの革は加工して財布などの皮革工芸品にされる。

日本で漁獲されるヌタウナギはその大半が韓国に輸出されている。最近では日本の排他的経済水域で韓国漁船の犯行とみられる密漁や違法操業事件も発生している。

繁殖力はそれほど強くないようで、食用や皮革用に集中的に漁獲すると資源が急速に枯渇してしまった事例が多く知られている。

頭甲綱(ヤツメウナギ類)
頭甲綱(ヤツメウナギ類)Cephalaspidomorphi は、両半球の比較的冷たい海と陸水に生息している。古生代には皮骨の発達したいわゆる甲冑魚の1グループとして繁栄した分類群の子孫である。目は大きく、目の後ろに7対の鰓孔が目立つ。口の周囲に鋭い歯が並び、他の魚に口を押し付けて吸盤状の口の周りの肉で密着し、歯を皮膚に食い込ませ、体液を吸う。

海に生息し産卵のために川に遡上する種と、一生を河川ですごす種とがある。親は産卵後死ぬ。卵から孵った幼生は親と全く異なる姿をしており、アンモシーテス幼生と呼ばれる。アンモシーテスは、緩やかな流れできれいな砂が堆積した川床に穴を掘り、ほとんどそこから出ない。目は皮膚に埋没し、口に吸盤や歯は無く、流れてくるデトリタスを濾しとって食べている。その形や性質がナメクジウオに似ている。数年間にわたって幼生期をおくった後、変態して成体と同じ形の幼体、あるいは成体となる。このため、河川環境の悪化に非常に脆弱である(特にスナヤツメの生存状況は水質基準のバロメータになる事がある)。変態後、何も食べずにすぐに成体となって繁殖に入る河川残留型の種と、海や湖に下って魚類を襲って大きく成長してから河川に遡上し繁殖に入る降海型の種があり、日本では前者の代表種としてスナヤツメ、後者の代表種としてカワヤツメがよく知られる。

降海型の種は日本やフランスなどでは食用とされる。海でサケマス類やカレイ類を襲い、漁業に被害を与えることもある。アメリカの五大湖では非意図的に移入されたウミヤツメが海に下らずに湖内でマスに大きな食害を与えていることが大きな問題となった。

進化
脊椎動物の進化において、無顎類は重要な位置を占める。最古の無顎類の化石は、カンブリア紀後期の地層から発見されている。あまり遊泳力がない、皮骨で覆われたオタマジャクシのような姿をしていた。つづくオルドビス紀に多様化が進み、シルル紀、デボン紀になると、体側は丈夫な骨質のよろいのような皮骨で覆われ、鰭状の器官や奇妙な突起を発達させた。ほとんどの種はデボン紀末期に絶滅した。これら絶滅した無顎類のうち、どの系統が現生の無顎類の祖先だったかは十分に解明されているとは言えないが、化石が多く知られる皮骨の発達したグループにヌタウナギ綱の祖先は含まれていなかったと推測されている。また、コノドント動物は長くその正体が分からなかったが、現在ではこの類であり、ホソヌタウナギに近い系統とも言われている。小型のプランクトン的生活の動物で、世界中の海に生息し、古生代末まで生き延びた。

一般的な魚類、魚上綱に含まれる顎がある魚の祖先も、シルル紀後期かオルドビス紀に無顎類の系統群のひとつから進化したといわれている。

分類
現生のもののうち、日本産のみを示す。

無顎口上綱 Agnatha
ヌタウナギ綱(旧和名:メクラウナギ綱) Myxini
ヌタウナギ目(旧和名:メクラウナギ目) Myxiniformes
ヌタウナギ科(旧和名:メクラウナギ科) Myxinidae
ホソヌタウナギ(旧和名:メクラウナギ) Mixine garmani
クロヌタウナギ(旧和名:クロメクラウナギ) Paramyxine atami
ヌタウナギ Eptatretus burgeri
ムラサキヌタウナギ E. okinoseanus           
頭甲綱 Cephalaspidomorphi
ヤツメウナギ目 Petromyzontiformes
ヤツメウナギ科 Petromyzontidae
ミツバヤツメ Entosphenus tridentatus
カワヤツメ Lethenteron japonicum
シベリアヤツメ L. kesseleri
スナヤツメ L. reissneri

2009年02月05日

ダブルドラゴンシリーズ

アーケード版は1987年発売。前年の同社ヒット作『熱血硬派くにおくん』の正統後継作として誕生し、ビデオゲームにおいてベルトスクロールアクションゲームというジャンルを確立させた本作はブルース・リーを愛する開発者たちによって作られた。

その最初の作品(アーケード版)は、ステージがゲームスタート地点から最後のシーンの直前(敵のアジトの門前)まで途切れる事が無く続いているのが特徴(詳しくは後述)の拳法アクション。シリーズ名のダブルドラゴンは2人の主人公であるビリー・リーとジミー・リーの兄弟のことを指す。功夫の道場を営むリー兄弟が、暴力組織「ブラック・ウォリアーズ」 に誘拐された恋人・マリアンの救出へと向かう。リー兄弟が使う「双截拳(そうせつけん)」の代表技は、空中で360度以上の軸回転をして周囲の敵を蹴る「龍尾嵐風脚」。
せんぼ メカイ ママコー フリーパス ナンキ プルタブ ジャワ フロント ムラサキ ルスカ サファー ルビジウム レジス スギ シャギー フェン ピット お祭り センチ ピアニ ディー まほうの夏 ストラップ キュラ ニッツェル 鳥の巣 しらかし ケイス やはば フィン マップ はなゆ プレーボ さつま ビジー ソマト べーる リュウ ストーブ ニール バギー ブラシノキ キャップ ノータム ソリティ デプロ ハラッパー ナイル クロスプレー クロスワード

テクノスジャパンを代表する作品の一つであり、敵を殴ったときの爽快感、そしてタイトル画面とラストステージで流れる「ダブルドラゴンのテーマ」は非常に人気が高い。同社のファミコン作品である『ダウンタウン熱血物語』に竜一&竜二というリー兄弟をモチーフにした敵キャラが登場するときにはアレンジ版の「ダブルドラゴンのテーマ」を流している。

ファミコン(1988年4月8日発売)とゲームボーイ(1990年7月20日発売)にも移植されたが、2人同時プレイとコンティニュー機能が削除されて、オリジナルの敵キャラに拳法家のチン・タイメイが登場する。しかもファミコン版では戦い方によって使用できる技の数が増えていくレベル制が導入された上に、ジミー・リーが最終ボスとして登場したり、2P対戦モードでリー兄弟以外のキャラクターが選べる(ただし同キャラ戦のみ)など、業務用とは完全に別物になってしまった。

セガ・マークIII版(1988年8月1日発売)では二人同時プレイが可能だが、ジャンプキックか武器攻撃でないと敵キャラにまともに攻撃できないゲームバランスに問題点がある。

Xbox360版(2007年5月9日発売)はXbox Live Arcadeにてダウンロード配信され、シリーズ初のオンライン協力プレイに加え、ユーザーのやり込み度がわかる実績システム、世界ランキングシステムに対応している。もちろんオフラインでの二人同時プレイも可能でHD画質にも対応している。本作の移植は国内外で様々なゲーム機やPC等に行われたが、アーケード版の完全移植はアーケード版から20年後に登場したXbox 360版が初めてである。

ステージ構成(業務用)

ステージ構成は自宅前のストリート(ボスは茶色のボロ)→町外れの寂れた工場(ボスは緑服のジェフ)→森林地帯(ボスは緑色のボロ)→ブラック・ウォリアーズの本拠地(ボスはウィリー)という順番で進んでいく。

ダブルドラゴンに登場するキャラクター(業務用)

主人公側
ビリー・リー
1Pプレイヤーキャラクター。青い服で金髪のほう。恋人であるマリアンがさらわれた為、立ち上がる。

ジミー・リー
2Pプレイヤーキャラクター。赤い服で黒髪のほう。ビリーの助太刀を買って出るが、実はマリアンに惚れている。

マリアン
誘拐されてしまったビリーの恋人。

ブラック・ウォリアーズ
ウィリアムス
タンクトップを着た雑魚キャラ。金属バット、ダイナマイト、ナイフを持っていることもある。

ローパー
素肌にチョッキを着た雑魚キャラ。性能はウィリアムスとほぼ同じだが、ドラム缶などの障害物を拾って投げつけることがある。

リンダ
レオタードを着た女性の雑魚キャラ。鞭を持って登場することが多い。

アボボ
中ボス級のマッチョな雑魚キャラ。見た目どおりパワーがあるので攻撃を受けると危機的状況に立たされる事が多い。髪型はスキンヘッドだが、ゲームボーイアドバンス版ではアフロもいる。

ボロ
モヒカン頭のアボボと言うべき1面と3面のボス。4面後半で雑魚キャラとして再登場する。3面の肌が緑色のものはミボボと呼ばれる。大抵の移植版ではアボボと混同されている。

ジェフ
リー兄弟と体格も使う技も瓜二つの2面ボス。後半になると雑魚キャラとして再登場する。ゲームボーイアドバンス版などの一部移植版では登場しない。

ウィリー
ブラック・ウォリアーズ(ゲームボーイアドバンス版ではシャドー・ウォリアーズに改名)の親玉でラスボス。マシンガンを持っていて、これの乱射攻撃は当たるとほぼ一発ミスになる。また、マシンガンで殴りつけたり、後ろ蹴りをする事もある。

ダブルドラゴンII ザ・リベンジ
アーケード版は1989年発売。使用基板は前作の流用なので、続投キャラクターのデザインはほとんど顔グラフィックと色の変更程度になっている。冒頭では前作で救出したマリアンがウィリーに射殺され、ゲームの雰囲気はさながらマリアンの弔い合戦とも言える物であった。攻撃操作は前作と異なり、左右攻撃ボタンとその中央にジャンプボタンを配しているシステムでアーケード版『熱血硬派くにおくん』に近い物になっている。前作で圧倒的な威力を誇った肘打ちは、よほど接近して出さない限り敵がしゃがんで避けてしまうようになった上に、肘打ちを使う雑魚まで存在する。また主人公が武器による攻撃で受けるダメージが前作と比べて軽減されており、特に前作の最終ボスであるウィリーのマシンガンで即死しなくなっている。

ファミコン版は1989年12月22日発売。前作では不可能だった2人同時プレイが出来るようになった。攻撃操作はアーケード版とほとんど同じだが、比較的簡単な操作で出せる必殺技が追加されている(これらの必殺技は後述の『ダブルドラゴン アドバンス』にも登場する)。アーケード版の前作とデザインが同じだったジェフとウィリーの代わりに、中ボスにクンフー使いの「右腕」とシリーズ初登場の「忍者」が追加された。ファミコン版の最終ボスには「幻殺拳 (げんさつけん)」使いの「謎の格闘家」が登場し、最終ステージでの戦いで流れるBGM「双龍の雄叫び」はファンの間でも人気が高く、前作(第1作)をリメイクした作品である『ダブルドラゴン アドバンス』でもバッチリ収録されている(『ダブルドラゴン アドバンス』での曲名は「FIGHT OF FATE」)。

日本ではアーケード版ベースのメガドライブ版(1991年12月20日発売)とファミコン版ベースのPCエンジン版(1993年3月12日発売)が発売された。 海外では国内で発売された『熱血硬派くにおくん 番外乱闘編』をキャラ変更したゲームボーイ版が発売された。

本作ではジミーが白づくめの格好(ファミコン版とPCエンジン版ではベストとズボンは赤色に戻っている)をしていたり、リンダがモヒカン頭になっているなどキャラのデザインが色物じみている。

ダブルドラゴン3 ザ・ロゼッタストーン
アーケード版は1990年発売。修行の旅に出ていたリー兄弟(=標準型キャラ)は、ある時ヒルコ(蛭子)と名乗る老婆から「ロゼッタストーン」の話を聞き、その謎を追って世界各地を転戦する。成真カラテの師範代の大山兄弟(=スピード型キャラ)とマーシャルアーツの世界チャンプのユキーデ兄弟(=パワー型キャラ)と太極拳の名手の陳兄弟(=特殊型キャラ)の3組のキャラクターが新たに加わった本作は、最大で3人同時プレイが可能。先にテクノスジャパンがリリースした『コンバットライブス』と同じく残機無しのライフ制であり、クレジットの追加投入でライフを増やす事が出来る。攻撃操作は初代と同様のパンチ・キック・ジャンプ形式に戻っている。1面のアメリカではブラック・ウォリアーズの残党と対決する。最終面のエジプトに控えるボスキャラは甦ったクレオパトラが登場する。海外版は日本国内版とシステムが異なり、武器や仲間を隠しショップで購入しなければならない。

ファミコン(1991年2月22日発売)にも移植されたが、初代と同様に使用キャラの顔ぶれやゲームシステムがアーケード版と異なり、コンティニューは条件付で一度しか使えない。ユキーデ兄弟(4面のイタリアに外見が似たボスキャラが登場する)と大山兄弟が登場せず、チン兄弟がセイメイ(アーケード版の1Pキャラ)のみになった代わりに、アーケード版の敵キャラだった伊賀忍者の柳生乱蔵が使用可能になっている。ただし、チン・セイメイと柳生乱蔵は最初は2面の中国と3面の日本のステージボスとして登場して、彼らを倒した後で初めて使用可能になる。

リターン・オブ・ダブルドラゴン
1992年10月16日に発売されたスーパーファミコン作品。ストーリーは一応は初代ベースだが、オリジナルの敵キャラは雑魚のウィリアムスとローパーと中ボスのジェフしか登場しない。本作のリー兄弟の技はアーケード版やファミコン版に比べると大幅に増えていて、中には気力ゲージを使って出す必殺技もある。このゲームで初登場したスーツ男のスティーブと最終ボスのデュークは、それぞれ後に発売される『ダブルドラゴン アドバンス』とネオジオ版『ダブルドラゴン』に再登場した。海外では『Super Double Dragon』の名で発売されているが、ゲームバランスが違っているとか日本版には無いエンディング(ただし文字だけだが)があるなどの細かい相違点がある。

ダブルドラゴン(ネオジオ版)
1995年3月3日に発売された対戦格闘ゲームで、SNKが販売を担当した。登場キャラは12名で、デフォルトの使用キャラ10名とボス2名である。使用キャラにはリー兄弟の他に、元祖で囚われ役だったマリアンや、敵キャラだったアボボやブルノフなどがいる。中ボスは『リターン・オブ・ダブルドラゴン』に登場したデュークで、最終ボスは海外の実写映画版に登場したコガ・シューコーである。 本作は1996年4月26日にアーバンプラントによってプレイステーションに移植された。

ダブルドラゴン アドバンス
2004年3月5日にアトラスから発売されたゲームボーイアドバンス作品。版権はミリオン。この日、テクノスジャパンの人気ゲーム『ダウンタウン熱血物語』と『ダブルドラゴン』は共にリメイクされて発売された。どちらも移植ではなく、新たなアイデアを伴って手を加えられている。

『ダブルドラゴン アドバンス』では「変えるところは変えるが、それでいて旧作を知っている方も楽しめるようにオリジナルの良さを残す」という手の加え方が行われている。このシステム変更はファンに受け入れられたようだ。

2009年01月21日

水道水フッ化物添加についての陰謀論

水道水フッ化物添加とは、フッ素の化合物(フッ化物)を上水道中に添加し、多数の住民を対象として虫歯を予防する手法。北アメリカとオーストラリアでは、多くの自治体が安価な費用で効果を期待できるとの考えにより、水道水へのフッ化物添加を実施している。陰謀論は、1950年代に生じた水道水フッ化物添加は、共産党によるアメリカの意欲を削ぐための陰謀であるという論説と、1970年代に生じた(アルミニウム精錬にともなう産業廃棄物としてのフッ化物の処理に関連する)アルミニウム産業と特定の財団・家系との利害関係の絡んだ陰謀である、という論説がある。[6][7]この論説は水道水フッ化物添加についての議論の一部をなしている。

冷戦やらせ説
冷戦がやらせであるという陰謀説。[8][9]ロックフェラーがソビエト連邦を支援した。この論説によれば、独占資本主義と共産主義は、ロックフェラーによる、地域文化を考慮した市場の独占を目的とした戦略である。 また、ロシア革命の段階からロックフェラーが支援したとする説もある。

ロックフェラーは「競争は悪」「消費者に利益を還元する必要はない」と言っていたとされる。

この説の論者は独占資本主義と共産主義は、独占企業と国家という違いはあっても、1つの組織が市場を独占しているという点において本質的に同じものであると主張する。

キャロル・キグリーが新世界秩序の内部からこのことを暴露したとされる。

ソ連の穀物輸入相手国の第1位がアメリカだった時期もあり、本気で共産圏と戦う気があれば兵糧攻めしていたはずだということが根拠とされることがあるが、米ソデタントなど歴史的な経緯を無視した立論であり、交渉や外交の手立てを過剰に解釈している可能性がある。

世界統一政府陰謀説

世界統一政府(One World Government)は予定されている。

この説は次のような内容である。

2050年ごろまでに超富裕層と貧困層による超格差社会が建設され、ロスチャイルドやロックフェラーなどの財閥当主が支配層となる。

世界人口は10億人(一説によれば5億人)まで減らされる。人口の割り当ては、中国と日本を合わせて5億人、日本だけで6000〜7500万人。これはアジア系が権威や権力に弱く従順で扱いやすいためとされる。

キッシンジャーは「アメリカの人口は1億人で十分だ」と言っていたとされる。

秘密結社の究極の目的は儀式を行い、世界統一政府の建設にある。他の陰謀はこの目的のための手段として行われる。

世界統一政府樹立の細かい内容
首都はエルサレム
言語は英語
通貨はドル
人口は10億人
支配層はロスチャイルドやロックフェラーなどの財閥当主
宗教はルシファー信仰の一神教
度量衡はメートル法

世界統一政府樹立の方法
世界統一政府を樹立するための方法には次のような方法があるとされている。

国連などの国際機関の機能を徹底的に強化していくという方法。常設の国連軍を作れば、それに伴い国連の他の機関も強化していかなければならなくなる。

第三次世界大戦を意図的に引き起こし、反戦ムードを盛り上げ、国家があるから戦争が起こるという主張を行うという方法。

アメリカによって世界を軍事的に征服する。アメリカの軍事力は圧倒的であり、世界対アメリカでもアメリカが勝つと言われているほどである。

電離層に、「実際には存在しない」UFOなどの映像を投影し、「実際には存在しない」宇宙人による侵略に見せかけ、全世界の団結を訴えるという方法。

優生学陰謀説
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優生学は少数者による支配を正当化・構造化するために考案されたとする説。少数の優れた者の生存を奨励し劣った(とされる)者を断種などで減らそうという考えで、ナチズムによるもの(レーベンスボルン、生命の泉計画)が有名だがアメリカ、その他先進国でも戦前からその思想に基づく政策が行われたことが分かっている。日本では優生保護法があった。

天皇すり替え説

孝明天皇が暗殺され、明治天皇がすりかえられたとする陰謀説。

この論説によると、ロスチャイルドのインド、中国にかけての極東代理人がサッスーンである。サッスーンの部下がグラバーである。グラバーが元勲たちを明治維新へ後押しした、とされる。岩倉具視が長州藩を御所に招きいれ、伊藤博文は明治維新への障害である孝明天皇を暗殺し、明治天皇を南朝の子孫である大室寅之祐にすりかえた。 この見解を支持しつつも、天皇家が南朝系に戻ったことは好ましいと考える人もいる。

この説の主張者は、長州藩が出雲族の流れにあたるとし、長州藩は忍者国家(諜報国家)であったと主張している。この点は英国と類似しているとして、。元勲たちは大日本帝国憲法を作るにあたってロスチャイルドのところに留学しているとしている。日露戦争で日本が勝利できたのは、ロスチャイルドと深いつながりのあるジェイコブ・シフの資金援助のおかげであるという見解もある。

この説の根拠としては
トラン パラグ ピロティ 桂うり プラン マーガリン シング サラウンド シャン リネージ バージニ コルホーズ ハンドア ロサク 天体議会 てきか フェンディ ドメーヌ ロココ サファ みつば 最遊記 リーター ささぶね ノリウッド パパイン ライン 江戸手拭 フォビア ズクロー ツイザー 時計台の鐘 オーラン ラグビー ハッチ びわ乃 ティモール ワイン プーリー タッチ トゥク がらいろ ナリア こだわり ばんか チョオ 星の衣 レイヤ ハナキ かくの

14代将軍徳川家茂と孝明天皇が一年違いで死亡していること
南朝を正当としていること
天皇は明治天皇以降、ガーター勲章を受けている。(ガーター勲章のStranger Knights and Ladiesは、通常外国の国家元首に贈られる勲章であり、イギリス国王も代々大勲位菊花章頸飾を天皇から受けている。)
天皇はイギリス国王の臣下である[要出典]
大室の子孫は現在「大室天皇」を名乗っている。
などをあげている。

2009年01月14日

五帝本紀

本紀
五帝本紀 - 五帝
夏本紀 - 夏
殷本紀 - 殷
周本紀 - 周
秦本紀 - 秦
秦始皇本紀 - 始皇帝
項羽本紀 - 項羽
高祖本紀 - 劉邦
マザーグ ロリータ あんずいろ ラウオル すないろ ブレザー ブリタ ブルジョア ドレス タジン スイート こるてーぜ ハザード ソフィア シャタカイ ロンド モーリ ルッコラ マジョル ドット 寒玉日本 フッラ アルマジ マドリード メーター ディレク 紅ほっぺ パパンサ スーツ きんしゃ チザン ミオシン ティン ドーマン ケイソウ きしょうてん スミレ ルーキー カムロ ハーフセ リフレッ オーバー おみたま ボジェット ヒイラギ スコー タチSEO マトーダ グッドア チェスト

呂太后本紀 - 呂太后
孝文本紀 - 文帝
孝景本紀 - 景帝
孝武本紀 - 武帝


三代世表
十二諸侯年表
六国年表
秦楚之際月表
漢興以来諸侯年表
高祖功臣侯者年表
恵景間侯者年表
建元以来侯者年表
建元已来王子年表
漢興以来将相名臣年表


礼書
楽書
律書
暦書
天官書
封禅書
河渠書
平準書

世家
呉太伯世家 - 呉
斉太公世家 - 斉
魯周公世家 - 魯
燕召公世家 - 燕
管蔡世家 - 管叔鮮・蔡・曹
陳杞世家 - 陳・杞
衛康叔世家 - 衛
宋微子世家 - 宋
晋世家 - 晋
楚世家 - 楚
越王句践世家 - 勾践
鄭世家 - 鄭
趙世家 - 趙
魏世家 - 魏
韓世家 - 韓
田敬仲完世家 - 田斉
孔子世家 - 孔子
陳渉世家 - 陳勝
外戚世家 - 外戚について
楚元王世家 - 劉邦の血族で王侯に封じられたものについて
荊燕世家 - 劉賈・劉沢
斉悼恵王世家 - 漢の諸侯王としての斉について
蕭相国世家 - 蕭何
曹相国世家 - 曹參
留侯世家 - 張良
陳丞相世家 - 陳平
絳侯周勃世家 - 周勃
梁孝王世家 - 漢の諸侯王としての梁について
五宗世家 - 景帝の子について
三王世家 - 武帝の子について

列伝
伯夷列伝 - 伯夷・叔斉 
管晏列伝 - 管仲・晏嬰
老子韓非列伝 - 老子・韓非
司馬穰苴列伝 - 司馬穰苴
孫子呉起列伝 - 孫武・孫臏・呉起
伍子胥列伝 - 伍子胥
仲尼弟子列伝 - 孔門十哲他77人
商君列伝 - 商鞅
蘇秦列伝 - 蘇秦
張儀列伝 - 張儀
樗里子甘茂列伝 - 樗里子・甘茂
穰侯列伝 - 魏冄
白起王翦列伝 - 白起・王翦
孟子荀卿列伝 - 孟子・荀子
孟嘗君列伝 - 孟嘗君
平原君虞卿列伝 - 平原君・虞卿
魏公子列伝 - 信陵君
春申君列伝 - 春申君
范睢蔡沢列伝 - 范雎・蔡沢
楽毅列伝 - 楽毅
廉頗蘭相如列伝 - 廉頗・藺相如・趙奢・李牧
田単列伝 - 田単
魯仲連鄒陽列伝 - 魯仲連・鄒陽
屈原賈生列伝 - 屈原・賈誼
呂不韋列伝 - 呂不韋
刺客列伝 - 曹沫・専諸・予譲・聶政・荊軻
李斯列伝 - 李斯
蒙恬列伝 - 蒙恬
張耳陳余列伝 - 張耳・陳余
魏豹彭越列伝 - 魏豹・彭越
黥布列伝 - 黥布
淮陰侯列伝 - 韓信
韓信盧綰列伝 - 韓王信・盧綰
田儋列伝 - 田儋
樊酈滕灌列伝 - 樊噲・酈商・夏侯嬰・灌嬰
張丞相列伝 - 張蒼
酈生陸賈列伝 - 酈食其・陸賈
傅靳蒯成列伝 - 傅寛・靳歙・周緤
劉敬叔孫通列伝 - 劉敬・叔孫通
季布欒布列伝 - 季布・欒布
袁盎晁錯列伝 - 袁盎・晁錯
張釈之馮唐列伝 - 張釈之・馮唐
萬石張叔列伝 - 石奮・張叔
田叔列伝 - 田叔
扁鵲倉公列伝 - 扁鵲・太倉公
呉王濞列伝 - 劉濞
魏其武安侯列伝 - 竇嬰・田蚡
韓長孺列伝 - 韓安国
李将軍列伝 - 李広
匈奴列伝 - 匈奴
衛将軍驃騎列伝 - 衛青・霍去病
平津侯主父列伝 - 公孫弘
南越列伝 - 南越
東越列伝 - 東越
朝鮮列伝 - 衛氏朝鮮
西南夷列伝 - 夜郎など
司馬相如列伝 - 司馬相如
淮南衡山列伝 - 淮南王劉安
循吏列伝 - 孫叔敖・子産・公儀休・石奢・李離
汲鄭列伝 - 汲黯・鄭当時
儒林列伝 - 董仲舒・孔安国など
酷吏列伝 - 当時、厳しく法を適用し、民を治めた人々
大宛列伝 - 大宛(フェルガナ)
游侠列伝 - 朱家・田仲・王公・劇孟・郭解
佞幸列伝 - 鄧通・韓嫣・李延年
滑稽列伝 - 淳于髠・優孟・優旃
日者列伝 - 卜者司馬季主
亀策列伝 - 占卜の方法について
貨殖列伝 - 商人について 范蠡・子貢が商人としても成功した逸話を記述。
太史公自序

主な註釈
宋の裴駰(駰は扁が馬で旁が因)による『史記集解』
唐の司馬貞による『史記索隠』
唐の張守節による『史記正義』
明の凌稚隆撰、李光縉増補の『史記評林』 - 『史記』本編、三家注のほか、諸家の解説をあわせたもの。
日本の瀧川資言による『史記会注考証』
なお、『史記集解』、『史記索隠』、『史記正義』の3本の注釈書をあわせて「三家注」という。

日本における史記の受容
『史記』の伝来時期は正確には判明していないようであるが、聖徳太子の十七条の憲法の典拠のひとつとして『史記』を挙げる見解がある[1]。日本における『史記』の受容に関連する事跡を以下に例示する。

奈良時代
『続日本紀』巻29・神護景雲2年(768年)9月11日の条に、日向國宮埼郡の人・大伴人益が目の赤い白亀を瑞兆として献上した旨の記事がある。その際、人益は上奏文において『史記』巻128・龜策列伝の「神龜は天下の宝なり」以下のくだりを引用している。

また、『続日本紀』巻30・神護景雲3年(769年)10月10日の条に、称徳天皇が大宰府の「府庫は但だ五経を蓄えるのみ、未だ三史(『史記』・『漢書』・『後漢書』)の正本有らず。渉猟の人、其の道広からず。伏して乞うらくは、列代諸史、各一本を給わりて管内に伝習し、以て学業を興さん」との請に応じて『史記』から『晋書』までの歴代正史を下賜した旨の記事がある。

平安時代
平安時代には公私の蔵書目録に『史記』があらわれた。藤原佐世が奉勅して寛平年間(889年 - 897年)に撰した[2]『日本國見在書目録』に「『史記』八十巻・裴駰『集解』」が記載されている。また、 藤原通憲の『通憲入道蔵書目録』にも史書のひとつとして「『史記索隠』上帙七巻・中帙十巻・下帙九巻」がみえる。

さらに、清少納言は枕草子において「ふみは文集。文選。新賦。史記五帝本紀。願文。表。博士の申文」と述べている。他方、紫式部は『源氏物語』で152箇所にわたり中国詩文を引用し、うち14箇所で『史記』を用いている[3]。例えば、藤壷院が自身に降りかかる難を避けるべく出家を決意する場面で、劉邦の寵妃・戚夫人の「人彘」の逸話を藤壷院に連想させている(第10帖・「賢木」)。また、紀伝道の宗家とされた大江氏では、裴駰『集解』を基にした延久点に基づく訓点本が著された。

南北朝時代
『太平記』における中国故事の引用は62例あり、うち30話は『史記』を源泉とする説話である[4]。『太平記』には呉越・楚漢の興亡に取材した部分が多く、殊に巻28・「漢楚戦之事付吉野殿被成綸旨事」では、『史記』巻7・項羽本紀を中心にして再構成した楚漢の戦いの描写に約9千字を費やしている。

室町時代
上杉憲実が文安3年(1446年)に足利学校の学規を定めて「三注・四書・六経・列・荘・老・史記・文選の外は学校において講ずべからず」とした[5]。

江戸時代
元和2年(1616年)10月、徳川家康が駿府の文庫に蔵していた図書が家康の遺命により江戸城内・富士見の亭の文庫に一部移転された。その引継目録『御本日記』に「『史記』四十三冊・『史記抄』十四冊」がみえる[6]。

また、徳川光圀が18歳の時に『史記』巻61・伯夷列伝を読んで感動したとの逸話が、光圀の伝記『義公行実』などに記されている。光圀らが編纂した『大日本史』は『史記』と同様の紀伝体の史書である。

なお、天皇が侍読に『史記』を進講させた記録が各時代の史料に散見される。また、日本に現存する最古の『史記』は、南宋時代に出版されて日本に渡ったとされる宋版本である。1195年?1201年に建安(現在の福建省)で刊行され、『建安黄善夫刊/于家塾之敬室』と刊記が残っている。妙心寺の僧侶である南化が所有していたが、直江兼続に譲り、その後米沢藩藩校「興譲館」で保管されていたものであり、宋版『両漢書』と共に現在は国宝となり国立歴史民俗博物館で保管されている。